なりふりかまわず稼ぐ●なりふりかまわず稼ぐ 今、「なりふりかまわず稼ぐ」という言葉を読んで、心の中で眉をひそめた人、イヤな気分になった人がいるのではないだろうか。 きっと、いるはずだ。 その人たちは、大きく稼ぐことに対して扁桃核が“不快”になっていると思って間違いない。 その扁桃核を変えない限り、「ぼちぼち」は突破できない。 ・なりふりかまわず稼ぐことは、みっともないことである。 ・ガツガツ稼ぐことは、卑しいことであり、嫌われることである ・大きな野望を持つことは、笑われることである ・汗水流して努力することは、カッコ悪いことである ・断られても断られても絶対にあきらめないのは、恥ずかしいことである ・効率性・生産性をとことん追及するのは、冷たい人間である そう感じる人は、大きく成功しようなどと考えないほうがいい。 繰り返そう。 きれい事では、大きく稼ぐことはできない。 「いい人でいたい」「好かれたい」「カッコよく見られたい」と思うような人は、成功とは無縁だと思うべきだろう。 なぜならそういう人たちは、他人の目や人の思惑に影響を受け、それを判断材料としているために、簡単に自分の信念や行動を変えてしまうからだ。 なにも社会的成功に限った話ではない。 人間的な成功、たとえば貧しい人々、飢えた人々に救いの手を差し伸べるというような、人間的成功のジャンルにおいても、同じことが言える。 マザー・テレサが、「いい人でありたい」とか「カッコよく見られたい」などと考えただろうか。そんなはずはない。彼女も大きな野望を持ち、それを実現するために、なりふりかまわずに努力したのである。 世の中に、「いい人」でありたくない人間はいない。人に好かれたくない人間もいない。しかしそういう小さな欲を壊さなければ、大きく成功することはできない。 たぶん誤解されることはないと思うが、念のために言っておこう。 「ワルになれ」と言いたいのではない。 商売やビジネス、企業活動の本質は、社会を豊かにし、人々の幸せを増大させるところにある。 法令遵守やCSR(企業の社会的責任)を尊重しなければならないのは当然であり、そこからの逸脱は、すでに商売でもビジネスでもない。 しかしまわりから、「ワル」と呼ばれてもいいという、そのくらいの覚悟は必要なのだ。 強欲になるとは、そういうことである。 (後略) §さらに「強欲」について知りたければ、、、 ・価値観を絞り込む ・好きのエネルギーの限界 西田文朗 「ツキを超える成功力」(現代書林)より ジャンル別一覧
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